岩国市玖珂野口から、柱野に抜ける欽明路トンネル(欽明路道路)の上には、旧山陽道が通っています。この道は、坂やカーブが多いですが、今でもかなりの人が利用しています。中でも、磐国山(いわくにやま)の欽明路峠は、急な坂で「山陽道四十八次」の最大の難所といわれ、万葉集にも“周防なる磐国山を越えん日は 手向けよくせよ荒きその道”とあります。「磐国山は険しく、危険であるから山の神をねんごろに祭り、道の安全を祈りなさい」という意味です。このような難所を、その昔、大宰府に行く高官や参勤交代の大名達が通って行きました。
欽明路峠は、近くにある「欽明寺」から名前がつきました。この寺には第二十九代欽明天皇(大和時代〜飛鳥時代)が九州からの帰りに腰をかけられたという「腰かけの石」があり、これが寺の名前の由来とされています。欽明路道路の名前の由来をたどれば、仏教を日本に伝えた欽明天皇にたどり着くのです。
欽明路峠を越え、中峠を下ったところには二軒の茶屋がありました。一軒は「もみじの店」といい、もち米を蒸した名物の外郎を売っていたそうです。難所を無事通り抜けた旅人は、ほっとして番茶をすすりながら休んでいったのでしょう。
(ささえNo.47 2010年1月号)